人は情熱を傾けることができるものに対しては、何としてでも手にするための方法を考えるものです。
けれど、そうでないものは、手にできない理由を考える生き物なんですねσ(^_^;)
例えば、好きな歌手のコンサートにどうしても行きたいとします。
すると、そのために友達と遊ぶ時間を削ってバイトしたり、私物を売ってお金を作ったり、学校や仕事を休む連絡を入れたり、口裏を合わせてもらえる人を用意して工作を練ったり、コンサート会場までの道のりを下調べしたりします。
何もしなければ、仕事で行かれないはずなのに、突然、親戚の葬儀が入ったりするんですよ(もちろんそれはウソですが)。
何としてでもコンサートに行きたいので、コンサートに行くための方法を考えてるってことなんです。
逆に、宿題とか面倒な仕事とかをしなければならないって状況になると、
「近所の工事がうるさくてできない」
「課題のプリントを忘れたからできない」
「Aさんが規定のところまでできてないからできない」
「時間がないからできない」
など、できない理由を絞り出して、自分への言い訳にしてしまうのです。
この時、本人は正当な理由だと思っているから少したちが悪いのです、、、。
なぜなら、次のような疑問が生まれてくるからです。
「近所の工事がうるさくてできない」
→図書館に行くとか、友達の家に行くとか、ヘッドフォンをするとか、対策が可能だと思いませんか?
「課題のプリントを忘れたからできない」
→取りに行くことは不可能ですか?
→友達や同僚は同じものを持っていませんか?
→記載内容が把握できれば、回答を用意しておくことはできませんか?
「Aさんが規定のところまでできてないからできない」
→完成はしなくとも、手をつけることはできませんか?
→Aさんに協力して、スピードアップを図ることはできませんか?
→そもそも、その規定が適切なものかどうか検証はしましたか?
「時間がないからできない」
→テレビを見ていませんか?
→飲み会やカラオケに参加していませんか?
→夜更かしはしていませんか?
→長電話やメール、ゲームなどしていませんか?
→一時的にでも睡眠時間を削ることは不可能ですか?
→1日1時間作ることができると、一ヶ月で1日分以上の時間を確保できることを意識したことありますか?
ね?
もちろん、全ての案件に当てはまる答えではありませんが、このように、できない理由を安直に考えて、ただただ人のせいにしたり、環境のせいにしたりして、自分を正当化してしまうものなのです。
コンサートに行きたい時には、寝る時間を惜しんで、物欲を抑えて、偽装工作まで周到に準備して、親戚を殺してまでも行くのにです。
これが現実なんですね。
僕だってそうですよ(汗)
だからこそ、そこに気がつけた方には是非気をつけていただきたいなと思います。
何かやりたいことややらなければならないことがある場合、
できない理由を探すのをやめて、
やるための方法を考えて欲しいのです。
「できない」と口にすれば、それはもはや本当にできません。
できない理由に溺れて、そのまま言い訳に流される道を選んだということですから。
やるための方法を考えてみると、意外と見つかるものです。
あなたの精一杯はまだまだそんなものじゃないはずですよ。
「もう何もない」というところまで考え抜いたこと、ありますか?